2012年05月26日

一周忌

今日、ばーさんの一周忌の法要があった。
今回は、
伯父さんが一切を取り仕切ってくれたので助かった。
葬式や49日みたいに
また自分がめんどくさい思いをするのかと思った。
相変わらず父は何もしようとしていなかったしなー。
それでも朝からお経のCDをかけて、
ばあさんを偲んでいるようだった。
これで一つの区切りになって父も立ち直ってくれるだろう・・・
という甘い期待はとっくに捨てている。
とにかく一周忌が終わってほっとしたところ。

ほんと、こういう行事は苦手だな。
集合写真とか大嫌い。

話し相手もいなくて、
一人でずっとちびちび日本酒を飲んでいた。

離れて座っていた父は楽しそうだった。



日蝕の朝、夢を見た。
仮通夜のときみたいに
ばーさんが顔に布をかけて寝ている。
どうやら一周忌らしい。
死体と思ったばーさんは実は生きていた。
「一周忌も過ぎてまだ生きてるなんてめずらしい」
と親戚が話しているって夢。

ばーさんはまだ家にいるのかもしれない。

かわいい末っ子の父が心配で
成仏しきれていないんだろうか。

それにしても、なんか長い一年だったなー。
ばーさんが死んでからもっと何年も経っている気がする。

次は三回忌か?
すぐだな。
めんどくせー。
いちいち意味あるのかって思う。

結婚式とかもそうだけど、
周りに話し相手もいなくて、
一人で酒飲むってほどつまらないものはない。
ほんと、席順って大事だと思う。

早く終わってよかった〜。



続きを読む
posted by リンコ at 14:39| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月25日

眠くて眠くてたまらない・・・

日蝕のあたりからどうも体調が悪かった。
頭痛と腸痛?はおさまったけど、
眠いのがどうにもならない・・・。
とにかくもう気を失ったように寝まくってるのにまだ眠い。
しかも寝てるときの体勢がへん。
無意識にクビのうしろに手を当てている。
そういや何かで風邪になるときの邪気はそこから入ると聞いたなー。

昨日、権堂さんと映画に行ったのだけれど、
権堂さんも私と同じ症状だったらしい。
たださすが権堂さんだけあって、
日蝕直後にすぐに自力で対処して逆に元気になったらしい。
なんだかへそからエネルギーが出ていく気がしたという
権堂さんは、とっさに頭とへそに手をあてること5分。
それから水を飲んだらすっきりしたという。
さすが、スーパーのニンジンに花を咲かせる権堂さんだけある。

私の場合は日蝕の前あたりから頭痛もひどかったし、
寝たら寝たらでなんかダイナミックな夢の連続。
とくに対処ってもんはしてなかったけれど、
しいて言えばそのへんな寝方ってぐらいだと思う。

気づけば映画館でもそんな体勢で寝てた。

私は「貞子3D」が観たかったのだけど、
怖いのは嫌だという権堂さんが一緒だったので
「テルマエロマエ」を観てきた。

前半のアホなところでは大爆笑で
ずっと起きていた。
とくにシャンプーハットをかぶった爺がサイコーだった。
アベカンや上戸彩の話すローマ語?が
エスペラント語に似ていたので
聞いてるだけで意味がけっこうわかったってのも覚えてる。
上戸彩の発音がべったべただったからかも
でも、なんかちょっと話が真面目になってきたあたりで、
猛烈な睡魔に襲われた・・・。
それでも細切れに起きていたので
話の筋や内容はわかった。
あと、隣に座る権堂さんがやけに身を乗り出して
観ているなーってことも。

観終わったあとも権堂さんは大興奮。
そして、自分はローマにいたことがあるんじゃないかって
話も嬉々として語っていた。
なんか、このやりとり、前にもあったなーと思った。
ああ、そっか。
「アレクサンドリア」を観たときだ。
権堂さんはエジプト展とかもよく行くし、
そこでは妙になつかしさを感じるという。
今回の映画でも、古代ローマの風景に
とくに目新しさを感じないのがふしぎだと言っていた。
なんだかそれは私もそう。
イタリアに行ったときのローマの遺跡も
いまだ記憶に残っている。

映画の後もけっこう眠くてぼーっとしている私に
なんだかエネルギーいっぱいの権堂さんが嬉々として言う。

「私ね、きっと奴隷だった気がするんですよ。
 そしてあなたはきっと学者だったと思うんです」


学者かぁ、
確かに、学者に対してあまり尊敬はないんだよな・・・。
人となりとかで尊敬することはあっても
その職そのもので尊敬するってことはない。

そして権堂さんは奴隷か・・・。

確かに、権堂さんには奴隷意識みたいのがある。
しなくてもいいような苦労をするのが好きな人ではある。

だけど、そういうのって権堂さんだけじゃない。

私のバイト先でもそうだ。

私が今行っているバイト先では
まあいつものことながら、
色んな人がケンカしている。

とくに最近ひどいのが
ホールの主任とパートさんたちのバトルかな。
主任といっても名ばかりで、
ようするに普通のおばさんなんだよなー。
だから人を使うとか指導するということができない。
シフトをうまく作るということもできなくて
パートさんたちは不満たらたら。

「みんなの不満を聞いてはけ口になるのも
上に立つ人間の仕事だから」

と主任はよく言うけれど、
結局は自己満足なんだよな。

だから私は主任に言った。
「話を聞くってだけなら、
 近所の茶飲み友だちのババアにでもできる。
 結局、話を聞いてるだけで、何も対処しないから
 みんなが不満をもつんですよ」


私はこの主任のことはけっこう好きだし
焼き鳥をおごってもらったこともある。

だから、基本的には野次馬意識で
周囲の争いをおもしろがって傍観しているだけだけど、
みんなに叩かれてため息ばかりの主任を助けたいって
気になった。
そんで、
状況を打開するための案を少し出してみた。

ようするに、みんなが一番不満に思っているのは
だぶついているシフトのことで、
主任のシフト表が見たこともないような
時間割みたいになっていて見にくいってことだった。

だから、事務所のS女史に頼んで
一般的なシフト表を持ってきてもらい、
シフトの作り方も説明してもらった。

だけど、主任はこれが理解できない。
そして自分のやり方も変えようとしない。
S女史もこれには頭にきたようで
自分が作ってきたシフト表を
その場で破り捨てて去っていった。

主任はS女史の高圧的な物の言い方が
気に入らなかったらしい。
「そんなことも知らないの?」的な。

まあ、それはわかるけど、
そもそも仕事に好き嫌いとか関係ないし、
そんなのちっちゃいことだと思う。

「この際、言い方とかどうでもいいんですよ。
 言っている内容を聞いてください。
 それが役立つものなら取り入れるって、
 ただそれだけのことですよ」

と私が言っても主任は納得いかない様子。

そこでハッと気がついた。

この人は、あえて苦労がしたいんだ。

だから、こうやった方が楽ですよ、ってやり方を教えても
それが頭に入らない。

シフト表がみやすくなれば、
みんなも助かるし、シフトを作る主任だって
整理がついてやりやすくなるはずだと思ったけれど、
それは本当に余計なお世話だったてわけだ。

パソコンですぐ表を作れるものを
あえて手書きで、しかも読みにくいものを作って
時間をかけたいってわけだ。

あれじゃ頭の中の整理もできないだろうと思うけど、
それがあえてしたいってわけだ。

なーんだ、そっか。
そういうことかわーい(嬉しい顔)

ほかのことでも、
こうした方が効率がいいってやり方も
この主任は採用しない。
ある意味暴君な部長の無理難題をこなすために
ひいひい言いながら働いている。

「だって、生きていくためにはしかたないもの」

そう主任は言いながら、いつもため息をついている。

そっかー、なるほど、
この人にはそういうプログラムがあるんだなー。

それを変えようって思うなら、
楽なやり方を採用するはずだけど、
そうしないのは、本人の選択で
そのドラマを演じたいってだけなんだ。

と、思うことが、ほかの人にもあてはまり、
みんながみんな自分のプログラムで動いていて
ドラマを演じているのがよく見えるのでおもしろい。

もうあと一月で辞める人間だからというのもあるけれど、
今の自分はユーレイバイトみたいなもんで
なんとなくその場にいて、
人間ドラマを間近で観察している。

この先さらにゴタゴタはひどくなっていくようだけど、
辞めていく自分にはあまり関係がない。

新人の子たちもよく働いてくれるので、
仕事はほとんど任せていて、
私は、会計のときだけ呼ばれるってだけの
ご隠居さまみたくなっている。

だから、疲れるはずなんてないんだけど、
本当にこの眠さだけはどうにもならない。

今日は、久しぶりにヨガに行ったけど、
ヨガの最中にポーズとりながら寝ている始末・・・。

しかもヨガの先生たちは
とくに日蝕の影響もなかったようだ。

私の周りは頭が痛い人とか続出だけどな・・・。

バイト先の人たちの感情噴火も関係あるのかなー。
まあ、みんな気性が激しい人ばかりだから
毎度のことではあるんだけれど。

ある意味、テルマエロマエの市村正親ばりの
大仰な演技で、
「私、もう耐えられない!」なんて
朝から叫ぶ長老に
「生きていくためにはしかたないのよ」
悲愴な顔でためいきをつく主任、
Vシネマのヤクザ演技でキレる部長もいれば
朝ドラのヒロインのように
かいがいしく働く新人バイトの女の子もいるし、
べったべたの恋愛ドラマを演じている人たちもいる。

それぞれのドラマが交錯してぶつかっているのに
それぞれが主役のドラマのジャンルや
テイストが異なるってのはおもしろいなー。

奴隷意識がある限り、奴隷としてのドラマは続いて
場面が変っても変らない。

それを変えたいって思ったら
きっと展開も変るし、新ドラマも始まるのだけれど、
それぞれ好みの番組ってのもあるわけで、
それにこだわる人がいたって別にいい。

映画にしても苦手ジャンルってのもあるしね。

「貞子3D」が観たいって人が
私の周りには一人もいないっていうように。

一人で観にいこうとすると
逃すパターンが多いんだけど今回は果してどうか。

でもこの眠さがどうにかならなければ、
貞子でさえも寝てしまいそう・・・。









posted by リンコ at 21:06| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

頭痛と騒音

一昨日、めずらしく頭痛がして、
脳みそがふくれあがるようだった。
頭は痛いけれど、よくしゃべってたし、
一見具合が悪いようにも見られず、
結局最後まで働き通した後、
用事もすませて家に帰ったけど、
ごはん支度はとてもできずにすぐに寝た。

頭痛が睡眠を必要としていた。

それから昏々と眠り続けて10時間。
こんなに寝たのは久しぶり。

しかもわけのわからない夢を連続で見た。

夢というのは断片的にバラバラに見ているものらしい。
それをあとから思考がつなげてストーリーを仕上げるそうだ。

それって現実と思われるこの今にも言えることかも。

本当は人生のストーリーはすべて同時に起こっていて、
夢から覚める瞬間に、
仕上げてつなげるだけなのかもしれない。
それが死。
最期の瞬間に
あらゆる可能性の中から選び取った場面をつなぎあわせて
人生を完成させたと思い込む。

直線的に解釈をしようと思ったらできない話。
わけのわからない夢の象徴的な数々の場面が
一つのストーリーになるのだからとんでもなくすごいと思う。

中国の町が江戸時代の長屋の中にある荒唐無稽さ。
でかい青銅の埴輪とおもいきや
兜をかぶった秀吉のデカイ顔、
それが神輿で担がれてくる。

そしていつもの学校。
あれは古い中学校か・・・?
生徒になり先生になり怪物が出てきて
ホラーとお祭りがミックスされる。

ときどき見るバレエのバーレッスンの夢。
亡き先生の姿が見える。
基本が大事って夢なのかと思ってたし、
思考は「基本に還れ」と解釈した。
だけど、今回は、自分の方から
バーレッスンをしないことを選んでいた。
そして、先生が元気であるかを尋ねた。

先生はずっとあの教室でバーレッスンをしている。
自分もときどきあの教室に行ってレッスンに参加した。
だけど、もう参加しないというのは初めてだった。

場面は次々変る。
怒涛の展開。
自分は眠る。
ひたすら眠る。

目が覚めたのは4時半。
いつもの起床時間。

頭痛はすっかり治って、すっきりしていた。

大体、変な頭痛だったのだ。

吐き気もまったくなく、
食欲は旺盛で、とりあえず冷蔵庫の食べ物をあさって
食べるだけ食べて寝るという・・・。

そして起きたときにもまたおなかがすいていた。

頭痛はもうない。

ただうるさい。

それがストレス。

何がうるさいって、父が大音量で聴いている
ステレオの音だ。

ネットで動画をみることを覚えた父は
ステレオにつなげて毎日大音量で音楽やら
何やらを聴いている。
その間、テレビもつけている。
このテレビの音がまたうるさい。
何度か注意したことがあるけれど、
途端に父の機嫌が悪くなる。

ばーさんの仏壇へのお経も
CDで大音量でかけている。

私が休みでも早起きなのは、
うちにいると静寂の時間が早朝しかないからだ。
父が起きている間は一日中うるさい。

本当にうるさい。

二階の私の部屋は一階のテレビやステレオの真上である。
耳栓してもあまり効果がない。

それしか楽しみがないんだろうと思って我慢しているけれど、
本当にうるさくてストレスだ。

静かな時間が欲しい。
もうこのうるささの中にいるだけで、
早くテレビのないエリザベスの家に行きたいとすら思う。

それにしても、こんなうるさい家で
よく10時間も一度も起きずに寝られたものだ。

今日はたまの休みでせっかく一日家にいるというのに
騒音オヤジのせいでうるさくて気も休まらない。

そして今。

……我慢できずに
「もうちょっと音小さくならないですか?」
と言ってきた。

なんでこっちがここまで気を遣わなきゃないのか。

私がいなくなれば、父も誰に気兼ねすることもなく
大音量でテレビとステレオを楽しめるんだろう。

あ、ちょっと音が小さくなった……けど、まだうるさいな。
なんだよ、この軍歌みたいな行進曲は……。

自分の家がうるさいって本当に嫌だ。

りんたろう(犬)も
ふだんは散歩と餌のときしか一階に下りてこないというけど、
そりゃそうだろうと思う。

うるさいんだよっ!!!

なんでこんなに音大きくしなきゃないのかと思う。


あれ、音がやんだ。

さっき言ったからだな。

そうなると、なんだか父に悪いような気がしてしまう。
大体、私もそういうところあるけど、
父は極端なんだ。

別に音を消せとは言っていない。
小さくしろって言ってるだけだ。

それかヘッドホンを使えばいい。
それも前に提案したけど、
なぜか採用されなかった。

どちらか一方だけが我慢しなければならない
共同生活ってのは問題があると思う。

SATC2の映画
テレビを観てソファーでくつろぎたいという旦那に
不満な新婦キャリーが文句を言うと、
旦那のビッグは「週末だけ別々に暮らそう」と提案する。
これに対してキャリーは、
夫婦生活を週休制にするなんて、と反対する。
つくづくわがままな女だ。
週に五回、ビッグはテレビを我慢して
キャリーが望む生活をすると言ってやってるのに、
週に二回、
自分の好きなことをする時間を持ちたいっていうのの
何が気に食わないっていうんだ。
まあ、最終的にこれはキャリー夫婦以外にも採用されて
みんなでキャリーの独身時代のマンションを自由の場として
利用するようになるのだけれど、
ほんと、そういうのは必要だと思う。

一人の時間、静寂の時間ってのは絶対に必要だし、
夫婦だろうが親だろうがそれを邪魔する権利なんてない。
子どもだってそうだ。
フランスみたいに夜になったら
子ども部屋に閉じこめてしまえとすら思う。
いや、それに近いことはされてたな。
小学生の頃は9時になったら
無理矢理就寝させられていたし、
サザエさんでも、子供が寝たあとに大人たちは
波平さんのおみやげの寿司とかをこっそり食べるんだ。

……なんか、ほんと静かになった。

父が我慢しているのかなぁと思うと
急に申し訳ない気になるってのもへんなもんだ。

まあ、それでも明日からまた私は仕事でいないのだから、
それこそ週休二日ぐらい
大音量を我慢してくれ、とは思う。

向こうにとっては
音を小さくしろと言う私がストレスの元なんだろうな。

まあ、父にとっても
もう少しの辛抱って感じなんだろう。
posted by リンコ at 10:45| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

私とピアノ

今日は久しぶりに一日ゆっくりした休みだった。
二度寝、三度寝ぐらいまでして、
りんたろう(犬)と一緒にずっと寝ていた。
りんたろうの横で寝ているときが一番幸せだ。
そしてファミリーKから電話が来て起きたのが9時。
ずいぶん寝たもんだと思った。
うちに来たファミリーとごはんを食べて、
ファミリーが帰った後はずっと掃除をしていた。
床まできっちり磨いて掃除をするのは久しぶりだった。
ほんと、物って捨てても捨てても後から後から出てくるな・・・。
掃除のしめにりんたろうを洗った。
りんたろうのベッドも新しくした。
120512_200813.jpg
体が濡れていて寒いのか、震えているので
ストーブの前でりんたろうを干した。
(北海道はストーブをつけるほど夜はまだ寒い・・・)

昨日、メアリーちゃんちで
ちょっと電子ピアノをいじらせてもらった。
メアリーちゃんの持っていた楽譜本に
自分が昔やった曲がたくさん載っていてなつかしかった。
昔弾けた曲が弾けなくて、
やっぱ指動かなくなってるなーと思った。
少し弾かせてもらっていたら、
無心でピアノを弾いていた頃を思い出した。

小学4年生のとき、自分が初めて発表会で
弾かせてもらったショパンのワルツがなつかしいな。
当時の自分と弾き方が似てる。
なんか見ていて気恥ずかしくなった・・・。


あの頃は、弾き始めたら、5、6時間と
気づけば時間が経っていた。
思うように弾けなくて悔しくて泣いたこともある。
発表会でショパンばかり弾いていたので
たまにはちがうのを弾けと先生に言われて
メンデルスゾーンを弾かされて
悔しくて泣いたこともある。
何だか悔し泣きばかりしていた気もするけれど、
私はピアノが好きだった。

高校になってバンド活動に夢中になって
音大進学をめざすのもやめて、
ピアノさえやめてしまった。

今は、従姉妹にあげてしまったピアノ・・・。
年とってからでもいいからまた習い始めたいと思った。
そして思うように弾きこなせないままやめてしまって
中途半端になってしまった
幻想即興曲リストの愛の夢
いつか弾いてみたいなと思う。
ばーちゃんになってマスターするってのも
カッコイイなー。




posted by リンコ at 22:37| 北海道 雨| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

一日一善一ぴょん子

今日もツンデレ丼はおいしかったなー。
ホッケも買って帰ってきたし、
老犬チワワ(温厚な支店のおじさん)には
夏季限定のソフトクリームをただで作らせてもらったし、
(意外とむずかしかった・・・)
今日もおいしいものに恵まれた良い一日であったわーい(嬉しい顔)

支店の新しい人は41歳。
飲食店で働いたことがまったくないのだという。
そのため、本当に基本的なことから
教えなければならなかった。
敬語や英語と同じで、接客用の言葉遣いは
慣れてなければすぐには出てこないようで、
まずはそこから。
だけど本当に最低限のことしか教えてない。

なぜなら支店はいまやぴょん子の家。
ぴょん子のルールに従わなければならないから。

ぴょん子はぴょん子のこだわりがあり、
物の置き方から使う道具から
すべてにぴょん子指定がある。
そのとおりにやらないと、
キーキー文句を言ってくるので、
私は支店の新人に
「とにかくぴょん子のやり方でやってください。
 ぴょん子は自分のやり方以外のやり方には対応できないし、
 自分のルールが崩壊すると本人も壊れていくんで」

というようなことを言った。

そして、店が暇なので暇つぶしに
ぴょん子の物まねをしながら、
ぴょん子という人物がどういうキャラかを
完璧なまでに演じて
どう接したらいいかを伝授した。

ようするに小さい女の子と同じだから、
適当に機嫌を取って、
怒っても受け流して、
ときどきはえらいねーとほめてやる。

だって女の子なんだもん黒ハート
・・・っていうのがぴょん子です、と。

そしたら支店の店長と本店の主任から注意を受けた。

いくら本当のことでもぴょん子の実態を教えちゃダメだ、と。

ぴょん子は今のところ優しく新人さんに接しているから
いいイメージをもっていたかもしれないものを
私の話で余計な先入観をもたれちゃ困る、と。

「だってうそは言っていないし、
 誇張はしていないもんね」

と私が言うと、

二人して
「だからまずいんだって!」
と声をそろえて言ってきた。

私のものまねもよく似てるので余計リアルだったんだろう。
新人さんはしっかりとぴょん子のキャラを把握した。

それでもう嫌になって来なくなったらどうするんだ、と
店長と主任に言われたけれど、
私としては、ぴょん子がキレたときのための
対処法を教えてやったんだから
今日も一日一善でいいことをしたと思ってるわーい(嬉しい顔)
 
 



 
posted by リンコ at 00:20| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

新人と新人とぴょん子

権堂さんのGW期間限定洗い場バイトは無事終わった。
「あんなに心の綺麗な人はいない」とか
「本当に一生懸命やってくれている」とか
みんな口々に褒めながら、
辞めるのを惜しんだけれど、
どうやら腱鞘炎が再発してしまったらしい。

「みなさん優しい人たちばかりで・・・」とか
「ここにはいじめる人が一人もいない」とか
感謝の言葉を述べながらも
権堂さんはきっぱりと辞めた。

権堂さんの最終日、一緒に食事をして帰ろうと思ったら、
ロッカー室で一緒になったホール主任が
突然自分も行くと言い出し、
支店の兄ちゃんも参加して、
急きょ、権堂さんの送別会を焼き鳥屋ですることになった。
もちろん主任のおごり。
なんだか旅先みたいな思いつきのノリで
楽しい夜を過ごす。
満月の日の満月パーティー(雨だけど)

権堂さんは
「こんなに楽しい思いができるなんて」
とても感激していた。

いい夜だった。

その翌日。

本店にはまた新しいバイトが入った。
18歳、19歳に続いて今度は23歳。
子持ちなだけにほかの二人より少し落ち着いている。
そしてまた私が教育係をさせられた。
私も実は新人だということは
ここの人たちにはどうやら忘れられている。

この23歳は以前も飲食店で働いていたし、
ハンディも同じものを使っていたというので
最初から積極的にオーダーを取りに行っていた。

するとその娘が注文を取ったテーブルの客から
アワビステーキだけまだきていないという催促がきた。

伝票を確かめると、
ちゃんと注文は受けている。

ところが、
焼き物担当の牛男のところに確認しにいくと、
作ってもいない。

見ると、アワビのオーダー票が
一枚だけ機械にぴろっとついたまま。

ありえねー( ̄◇ ̄;)

しかも牛男のやつ、
「オーダーとって10分しても出てこないときは
 きちんと確認にこないとダメだ」

と言いだしやがった。

「オーダー取ったのは新人の子だし、
 新しい人にそこまで求めるのは無理ですよ」

と私が言うと、

「だったらちゃんと指導してよ」
と言い出した。

内心、ふざけんじゃねーよ、と思いながらも

「はい、わかりました。すみません」と言って
牛男を追いはらった。

するとオーダーを取った23歳が
「すみません!」と謝ってきた。

「別にあなたが悪いんじゃないです。
 オーダーはちゃんと通ってるんだし、
 こちらのミスではありません」

と言いながらも、
牛男は、暇なら暇で作り忘れるし、
忙しいときにはパニクって作れなくなるという
役立たずのくそオヤジだから、
オーダー通しても安心はせずに
作ってるかどうかだけは確認するようにということは
教えておいた。

だけどその後、牛男に酢飯をたくさんもらって
おいなりさんを作ったんで、
一応「でもまあ、いいところもあるんで」
一言フォローはしておいた。

まあ牛男の扱いはともかくとして、
若い娘たちは本当にがんばって働いている。
覚えも早いし、どんどん吸収していくし、
なんか育成ゲームをやっているみたな感じになって、
できるようになっていくのを見るのが非常に楽しい。

プレステのゲーム内のキャバクラに
はまったとき以来の楽しさである♪

新しく入った人の中には
48歳の人もいる。
実はこの人は一階の物販の販売で面接に来た人なのだけど、
なぜか二階の飲食の方に上げられた。
ハンディは使いこなせないし、
声も小さくて、動きも遅い。
聞けば、空港の三越で働いていた人なんだそう。
確かに雰囲気がデパートの売り子って感じ。
私も三越で働いたことがあるのでよくわかる。
そして空港ってのは
接客態度も厳しくしつけられるってのもあって
派遣で高収入でも行きたがる人がいなかった。
(今は知らんけど)

この人はたぶんこんなところじゃなければ
きちんと働ける人なんだろう。
そう考えるとちょっと気の毒になって
思わずこっそりと言った。

「なんでこんなところに来たんですか?
 上流階級のサロンから
 スラム街に来るようなもんですよ?」


するとその人は困ったように言う。

「求人募集で『おみやげものの販売』とあったし、
 掲載されていた写真で見たお菓子とか
 空港に売っているものと同じだったので・・・」


確かに売っているものは同じだけど、
その売り方が全然ちがう。

「ちょっと〜、お兄さん見てって〜、買ってって〜」
とダミ声を張り上げながら
両手でカニをがしっとつかみあげて、
「へい、安くしておくよ〜!」
みたいな感じで販売の人たちはやっている。

このお上品な人にそんなことできるわけがない。

だから飲食にまわされたのかどうかは知らないけれど、
飲食の方だって、品のいい料亭みたいな感じじゃないし、
繁忙期には一日で500人以上も客が入るんで
広いホールを縦横無尽に動きながら、
大声を出して客を案内したり注文をとったりと、
とにかくてんやわんやって感じなところだ。

「まさに大冒険ですね」
と私が言うと、
その人も「はあ・・・」と困った顔をした。

ずっと親の介護をしてきて独身だというし、
とにかく働かなければという事情もあるんだろう。

「まあ、とりあえず、
 ここはデパートとちがって
 客からのクレームはほとんどないし、
 そこまでの接客態度も求められてないから
 そういう点では楽ですよ」

と、フォローにも何にもならないような言葉で
とりあえず励ましておいた。

いっそのこと、この人は
レジ係とか案内係にすりゃいいんじゃないかと思う。
そうしたら店全体の品格も上がるんだろう。
ハンディが若い娘たちのように使えないので
何もできないと思われているけれど、
販売をしていたのなら、レジは完璧にできるはずだ。
レジも教えられている若い娘は
カードの取り扱いができない。
だけどその人はカードだって当然扱える。
その辺のことも主任にちらりと言ったけど、
あまりこの人には期待していないのか
取り合ってはもらえなかった。

この主任はいい人だし、私はけっこう好きなんだけど、
どうも人の使い方がうまくない。

そう思うことが今日もあった。

私は金曜と土曜が休みになっている。
だけどGWは休み返上で働いた。
そして毎月着付け教室のある第二木曜は休んでいるので、
10日、11日、12日は三連休でやっと休みだ。

だけどこの10日にぴょん子は有休を入れた。
ぴょん子がいない日は私か社員の一人が支店に行く。
だけど10日は、私と交代で行っている社員の人が遅番だ。
そこで主任が行くことになったのだけど、
そうすると本店の開店時は長老のおばさんが一人になる。
仕事自体は別に一人でもできることなんだけど、
長老のおばさんは、70代という年のせいもあるのか
けっこうな心配性で、誰かいないと不安だと言う。

そこで主任は私に出てくれと言ってきたけれど、
それはきっぱり断った。
そしてぴょん子に有休の日を変えさせろと言った。

それを主任がぴょん子に伝えると、
ぴょん子は「じゃあ金曜に休む」と言ったらしい。
だから今度は主任は私に金曜出てくれないかと言ってきた。

だけど金曜はヨガだしメアリーちゃんとのデートがある。

主任は、ぴょん子はともかく私なら
休み返上で働いてくれると思ったんだろう。

だけど私がそうする筋合いなんてない。

そこで私は主任に言った。

「なんで後から有休取った人のために
 もともと休みだった人間が自分の休みを変えてまで
 働かなけりゃないんですか。
 最初からこっちは
 金曜と第二木曜は出れないと言ってるんだから
 向こうがこっちに合わせるべきでしょう。
 そもそもなんで木曜の代わりが金曜なんですか?
 どっちも私が出れないんだから意味ないです」


すると主任は困ったように言う。

「ぴょん子に31日の木曜にずらせないの?って聞いたら
 木曜がダメなら金曜にするって言うから・・・」


「なんでぴょん子の都合に合わせるんですか?
 大体、31日はどうかって聞いてんだから、
 金曜がどうとかいう返答自体おかしいでしょう。
 まず31日はどうなんだ?ってことを
 はっきり聞かなきゃダメじゃないですか。
 それではっきりとダメな理由がないなら
 31日にさせりゃいいんですよ」


「でもそうなるとギャーギャーまたわめくから・・・」

「わめくから何だって言うんですか。
 わめかせときゃいいじゃないですか。
 それで言いたいだけ言わせたら、
 じゃあ31日よろしくって言えばいいんですよ」


主任は、
私の都合も聞かずに勝手に決めてしまって悪かったと
謝るけれど、結局どうするのかがはっきりしない。

主任がはっきりしないせいか
ぴょん子もキレはじめたらしく、
本店に内線入れてきて、
長老に文句を言ってきた。

「結局、私はいつ休んだらいいわけ?」

別に休んでくれなどと誰も頼んじゃない。

そうやってぴょん子がキレだすと、主任や長老は、
泣いて怒ってあばれる駄々っ子をなだめるための
甘いお菓子を与えるように、
自分が代わりになって、
ぴょん子の希望を通してやろうとする。

「そうやって甘やかすから増長するんですよ。
 大体、ぴょん子は子どもと一緒なんです。
 子どもってのは、ずるいんで、
 わがままが通る相手にはとことんわがままになるし、
 同じ手を何度も使ってくるんだから
 最後の最後まできっぱりとはねつけなきゃダメですよ」


そうは言っても、主任も長老もどうもはっきりしない態度で
埒が明かないんで、
私は直接ぴょん子に言った。

「結局有休はいつ取ることにしたんですか?
 どうせなら31日にしてくださいよ。
 そしたら私も出勤してるし、
 支店に行ってもいいですよ」


するとぴょん子は

「今週はやめることにしたの。
 だって、みんな代われないんでしょ?
 それに後からまとめて取ろうかなって思って。
 旅行に行くんだ♪」


とあっさりと言ってきた。

「へ〜。旅行ですか。いいですね。どこ行くの?」

と聞くと、
ぴょん子はにっこりと笑って

「ディズニーランド♪」
と言った。

ぴょん子はディズニーグッズをいつも身につけてるし、
ねずみの国が相当好きな様子。

その笑顔を見たとき
やっぱり小さな女の子だと思ったし、
共感も覚えたし、かわいいと思った。

もしかしたら、孫を溺愛している主任も長老も
こんなぴょん子に弱いのかもなぁとふと思った。

ただ私には通用しない。

なぜなら私は、本当の子どもを相手にしても
ゲームで手加減することなんてないし
(それでも負けるし)
自分が子ども以上に楽しむぐらいの人間だ。

大人気ないといわれようがなんだろうが、
子ども相手でも自分が嫌なものは嫌だし、
ダメなものはダメだとゆずらない。
遊びたくなけりゃ遊ばないし、
別に機嫌を取ろうとも思わない。

だけど子どもは好きだ。

だからぴょん子のこともどこか憎めないし
ムカつくときはあるけれど、
やっぱり嫌いじゃないんだよなーと
今日も改めて思った。

それに子どもってのは、
言い聞かせればちゃんとわかるってとこもあるし、
わかった上であえて駄々をこねるという
ずるさもあると思う。

ぴょん子はまさにそれだ。

主任さえはっきりとどうしてほしいのか言えば、
ぴょん子だってちゃんと考えたのかもしれない。

主任はいい人だけど、
人を使う立場には向かない人だと思う。
だからといって、何もかも上の人間のせいにして
言いたい放題言ってるだけのぴょん子や
ほかの社員の態度もどうかと思う。
だったらおまえがその立場でやってみろとも思うし。
全部上のせいにして責任を押しつけて
文句を言っているだけならそりゃ楽ってもんだろう。

まあみんなそれぞれ自分勝手で
自分の都合で動いているからなー。

だけどもともと決まった休みの私が
突然有休を入れてきたぴょん子に合わせる
必要なんてないと思うし、
社員でもなんでもないバイトの私が
予定のある日に休み返上で働く理由もないと思う。

これって、和裁の先生が言った
「人に合わせることも必要」に関係するのかなー。
主任にもいつも私はマイペースだと言われてる。
だからB型と言われる率が高いのかもしれない。

ぴょん子のようにキーキーわめいたりはしないけど、
最後まで譲らないのは結局私の方だ。

なんだかんだで自分の都合を押し通した
私の方が結局ぴょん子よりわがままなんだろうか。
そんな疑問がふとよぎりながらも、
やっぱりきっぱりとした態度が大事なんじゃないかとも思った
今日の一日。

明日(もう今日か)は久しぶりの支店。
ツンデレ丼にありつけるかなー。

支店にも新人が入ったので
面倒をみてやってくれとぴょん子に頼まれたけど、
新人が新人教育を任されるという……
ここはやはり何でもありなところだと思う。
posted by リンコ at 02:07| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月06日

ここはリアルなシアターだ

GWのくそ忙しいときに
本店に新人が四人も入っててんやわんやの状態だった。
初日は正直いらついた。
なんでそんなこともできないの?って思ったりもした。
だけど、ホールの主任の
「人はできるようになるまでの速さがちがう」ってのと
事務でお世話になったときの先輩の
「ほめてのばして、応援しているつもりで育てたらいい」
って言葉を頭に入れて、自分の態度を変えてみた。

すると一番できないと思っていた子が
みるみる動きがよくなって、
すこぶる働きがよくなった。

考えてみたら、自分だって、
最初からできたわけじゃないという
あたりまえのことを今さらながら思い出した。

何でやれないの?って思うんじゃなくて、応援すれば、
その人は思った以上の力を発揮してくれるんだなー。

それって政治家やスポーツ選手にもいえることかも。
ダメだって決めてこきおろすんじゃなくて、
相手をもっと応援してやれば
その人は思った以上の力を発揮できるのかもしれない。

最初から相手のことを
「できない」と決めつけちゃいけないと
しみじみと思った。
そういう先入観で見たら
そういう面しか捉えることができなくなるし、
そうなると相手も萎縮して、
本来できることもできなくなるんだなー。

先入観なしで相手を見ること、
できない部分はいつかできる部分として見て、
今できてることはきちんと認めてあげること、
そしてできなかったことが少しでもできるようになったら
褒めてあげること、
そうやって接すれば、人は育つしのびるんだな・・・。
なんか自分の方が学ばせてもらった気がする。

ほんと若い子たちはよく働くし、
がんばってくれるからこっちもうれしくなる。
初日にいらついたのがうそのようだ。
ちょっと自分の態度を変えただけで
相手はいくらでも変るんだなー。

そして、このGWは権堂さんが洗い場に入っている。
新人の若い子たちもよくがんばってるけど、
権堂さんの働きはそれ以上。
まさに鬼神のような働きぶり。
止めなきゃずっと働き続けるし、
洗うものがなくなれば調理場のあちこちを磨き続ける。

ほかの人の評判もよくて私まで鼻が高い。
自己主張の強い人が多いあの職場で
権堂さんのように謙虚な人はめずらしく
そういう点でも非常に好感がもたれている。

ただ、いつも思うけど、
権堂さんは奴隷意識があるのか、
遠慮が過ぎるところがある。
過剰な謙遜は過剰な自慢と同じぐらいに鬱陶しい。
あと謝り癖。
「ごめんなさい」というのが口癖になっている。

はっきりいって私は自分が悪いと納得したときしか謝らない。
そういうときは「ごめんなさい」がすぐに口から出てくる。
そうじゃないときは「すみません」と言って使い分けている。

だから、焼き物や汁物を担当している牛のようなオヤジ
(略して牛男)にも絶対に謝らない。

ホールに出てる朝のおばさんのミスで
汁が別なところに運ばれてしまい、
頼んだ人のテーブルにはいってないってことがあった。
私は自分が注文をとったテーブルに出るものは
把握しているので、
すぐに汁がいってないことに気づいて
牛男に催促しに行った。

そうしたら、汁はとっくに出したと牛男がごねはじめた。
だけど実際頼んだテーブルにはいってないのだから
早く作りやがれって感じで作らせた。
すると、私がいないところで、
ミスしたんならまず謝るのが先だとか言って
牛男がキレてたらしい。
それを後から聞いた私は料理長に言った。
「あれは私のミスじゃないんだから私が謝る必要はない。
 だけど店全体のミスとして客にはきちんと謝罪した。
 そもそも誰のミスでも関係ない。店側の責任なんだし、
 全員でフォローして対処するべきだ。
 そんなわけで、私の立場としては、客には謝るけれど
 牛男には絶対に謝らない」

まあ結局、
牛男は頭がおかしいからほっとけってことになった。
相方だったおしゃべりおじさんがいなくなってから
一人でたいへんっていうものあるし、
話相手もいなくてさびしいんだろう。

そんなわけで牛男には謝ってないけど、
別に険悪にもなってない。
謝らないってだけで、「お願いします」とか
「ありがとうございます」ってのは言っている。
手伝うふりして近づいて、
早く作れよというプレッシャーをかけている。

そして最近気づいたのは、
なんだかんだいって私は忙しい店の方が好きだってこと。

バイトは時給なので、
人の三倍仕事をこなせば
自分は損だと思っていた。
だけど、忙しければ忙しいほど
動きの速さと反応のよさが発揮されて
自分の働きぶりがよくなる。
一人で何役もこなすっていうのは
損なことじゃなくて楽しいことなんだってこともわかった。
オールマイティにできるっていうのも
色々やらされて不公平だっていうことじゃなくて、
色々できて楽しいってことなんだってことに気がついた。

ちょっと考え方を変えただけで、
疲労感なんてのもなくなるし、
GW期間がほとんど毎日残業でも全然平気だ。
そして事務のときよりもこっちの方がおもしろい。
毎日来る客はちがうし、外人も含めて
色んなところから色んな人が来るし、
その場その場で臨機応変に対応しなきゃないし、
予想外のことが起きたりする。
それを一つ一つクリアしていくのは、
リアルなゲームとしてすごくおもしろい。

新人も入って、代わりもいるし、
いよいよ後は辞めるだけって感じなんだけど、
主任とかはけっこう寂しがっている。
まあどこにいてもそうなんだけど、
もう長くそこにいるんじゃないかってぐらいに
すっかり馴染んでしまっているので
実は私もまだ来て二ヶ月も経たない新人だってことは
あまり思われていない気がする。
長年いる人たちを差し置いて、
新人が新人を教育するってのも何だか変なもんだけど、
飲食店のホールで働いた経験のある人が
あまりいないのでしかたないのかもしれない。

だけど自分は今までそこまで仕事が
できる方がじゃなかったと思ってる。
それというのも、ものすごく働ける人たちが
周りに必ずいたからで、
そういう人たちに教えられ、ときには叱られ、
泣かされたりもしながらやってきたからだ。

今、自分がそうやって教わってきたことを
人に教えているってのはなんだか妙な感じがする。

そういうキャラじゃなかったはずなのに・・・って
それもまた決めつけか。

いつも、何でも、自分より上ばかりを見て、
自分は全然ダメだってレッテルをはるのが得意だったな。
それが向上心につながると思っていたけれど、
新人の子たちに接したような態度は
自分自身に向けても必要なものだったのかもしれない。
ダメだって決めつけるんじゃなくて、
自分で自分の進歩を認めて応援するという態度。
そうしたら、できないと思われていたや
不得意だと思っていた分野でも
予想以上の才能を発揮することがあるかもしれない。
いつも上ばかり見上げてきた癖は
そろそろやめてもいいのかもしれない。
権堂さんの自己卑下の癖は
自分にも潜在しているものだったんだな。
権堂さんは自分の素晴らしさをもっと自覚するべきだと
思っていたけれど、
それって自分にも言えることだったのかもしれない。

権堂さんが周りにほめられればほめられるほど、
何だか自分もうれしくなるし、
それみたことかと思うんだけど、
本人がそれを私のおかげだと言うものだから
なんだかイラついてしまう。
もっと自分の素晴らしさに気づけよ!と思うんだけど、
人のことばかり言えないのかもなー。

それにしても、おもしろい職場で働いたと思う。
普通じゃありえないこともここでは何でもありだし、
世の中ってのはこういうもんだと
一般的に思われていることが
ここでは何も通らない。
本当に何でもありだと思う。

そして、ここで働く人たちはみんな、
自分の一部が強化されたアクの強い人たちだったり、
かつての自分のようだったりする。
ぴょん子もそうだし、今はいないおしゃべりおじさんも、
ツンデレも牛男も含めて、みんな自分なんだと思いながら、
その人たちの個性をそのまま受け入れられたとき、
自分のこともすんなりと受け入れていることに気づく。
腹が立ったり、苛立つことがあっても、
相手のことはそこまで嫌いにもならない。
まあ、ここにはそこまで底意地の悪い人もいないし
基本的には素朴でいい人が多い。
理性よりは感情過多って感じな人が多いけど、
それはその感情にどっぷりつかっているからで、
ちょっと離れた視点で自分をみれば、
簡単に抜け出せるものだ。
その視点を変えるかどうかのちがいで
本当はどっちでもいいのかもしれないし、
自分が好きな方を選べばいいんだと思う。
作り物と思って映画を客観的に見るのか、
入り込んでキャラと同一化して感情を共有するのか、
それだけのちがいだし、どっちもいいんだと思う。

どちらにしても、人間ってつくづく面白いっていうのが
自分の感想。

ここはリアルなシアターだ。






posted by リンコ at 03:19| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月30日

いつか袷を縫い上げる

ドイツの結婚式で着なさいと
着付けの先生にいただいた着物のほつれを直すために
和裁の先生の家を久しぶりに訪ねた。

先生はご自宅で和裁教室をやっているのだけれど、
その日は誰も来ていなくて私一人。
確か前回ひょいっと訪ねたときも一人だった。

ちょっとほつれを直すだけだと思ったけれど、
きちんと丁寧な仕事をする先生に教われば
そんなすぐには終わらない。

久しぶりに針と糸を手にして悪戦苦闘した。

そしてやっぱり和裁ってすごいなぁと思う。
玉どめもただするのではなくて、
糸を結んだあと、左右の糸をそれぞれよってある方に
一本ずつ同じ回数ねじると
二本に合わせて今度は反対にねじってコテをあてる。
それでもうほどけてこない。
日本人の知恵ってのは本当にすごい。

先生は私のことを器用だといつも言う。
本来私は器用で細かい仕事ができる性質なのかもしれない。
だけど、途中でめんどくさくなって投げ出したり
雑になったり乱暴になるから、
せっかくの資質をダイナシにしているのかも・・・。

先生は、いつも「布に素直な気持ちで向き合いなさい」と言う。
布がまっすぐならまっすぐに、
線に沿って縫うならそのとおりに、
縫目もそろえて丁寧に、
どんな態度で仕事に取り組んだかは、
そのまま仕上がりに現われる。

先生は、袷の着物を縫うことは、
夫婦和合の道を学ぶことだという。

袷というのは、裏地のついた着物のことで
それを縫うというのは、浴衣を縫うのとはわけがちがう。
浴衣でもたいへんだった自分にはもう
できるわけがないって思えるぐらいに大変なことだ。

ちょっと袖とか裾とかで
部分的にやったことがあるけれど、
素材の硬い紬と裏地がてろっとした柔らかいものを
合わせるのはたいへんだった。

強引に縫えば生地がよったりたるんだりするし、
適当に合わせてうまくいくってもんじゃない。

根気強く、我慢強く、布とまっすぐ向き合って
丁寧に仕事をすれば、素晴らしい仕上がりになる。

だけど、慣れていなければいないほど、
時間もかかるし、苛立ちと闘うことにもなる。

まさに精神鍛錬と思う。

とくに昨日はちょっとしたお寺の説法を聞いたような気にもなり、
さすが和裁の先生はお寺に生まれただけあると思った。

先生に父のことを聞かれて、
とくにこの一ヶ月のことを話したのだけれど、
そうしたら、
「お父さんには末っ子の甘えがあるのかもしれないけれど、
 あなたにも一人っ子の甘えとわがままさがある」

と指摘された。

私が相手に合わせることをしないということを言われた。
ときには相手に合わせてあげるやさしさも必要だという話だった。

結局、自分の中にあった不満は、
私も父もどちらかといえば大人じゃないし兄妹みたいだったのに、
ばーさんが死んで、私の方が大人にならざるをえなかったということだった。

なんで私の方がやさしくしなきゃないんだ、とか
甘えるな、とか、一人でやれ、とか
そういったことも結局は、
自分の中の甘えから出てきていることだったということに気がついた。

そしてさらに先生は言う。

「あなたはとても素直でのびのびとしている。
 それがあなたのとてもいいところ。
 きっとそういうふうに育てられたんでしょうね」


確かに父は何でも私の好きにやらせてくれた。
習い事でもバイトでも反対されたものはない。
就職しろとか結婚しろとかも言われたことはないし、
唯一言われたことといえば、
自分の哲学をもって生きろということだけだ。

そうしたら急に父に対する感謝がどーっと湧いてきて、
涙がだーっと出てきた。

自分が父にやさしくすることに対して抵抗を感じていたけれど、
なんだかそれもなくなった。

「誰かに向けるやさしさは、必ず自分にも還ってくる」
という先生の言葉にしみじみと納得した。

父に対して言葉をかけなくなったのは、
しかとされるのに腹が立ったわけだけど、
相手に何かを期待するのでなくて、
ただ純粋に向けたやさしさならば、
腹立ちも苛立ちもしないんだろう。

実際、父に心から感謝がわいたとき、
やさしくしようと思っただけで、
自分自身がやさしさに包まれるような気になった。

それで、帰ってから声かけや会話を試みるようになったのだけれど、
そうしたらだんだん父も以前のようにしゃべるようになってきた。

そうか、結局、私が話さないことも父はさびしかったのか。
ばーさんのことだけじゃなかったんだな・・・。

先生は、身内だからこそ、色々と学ばせてくれるんだとも言っていた。
他人が相手だと我慢して、自分の本音も出せなくなるけど、
身内だとそれがない。
だからこそ、色々とむきだしになるのだ、と。

私は今、我慢ややさしさや身内に対する思いやりを覚えているところ。
「それができたらきっといい人が現われますよ」
と和裁の先生に言われた。

それで私も先生に言った。
「そのときは、袷の着物を一枚縫います。
 いつになるかわからないから、先生、どうかそれまで長生きしてください」

そんな日が来るのかどうかはわからないけれど、
先生はそう遠くはないだろうと笑顔で言った。
まあ結婚してもしなくても幸せになれるとは思う。
先生も、いずれにしても、私の人生はまだまだこれからだと言う。
だけど、私にはなんだかもう
色んなことが遅れているといった考えがあった。

「この年で初めて実家を出て一人暮らしするっていうのも
すでに遅いと思う」

と私が言うと、

「私が実家を出て東京の和裁学校に入ったのは33歳のときでしたよ。
 そしてこの道50年。あなたも私もまだまだこれから。
 お互いがんばりましょうね」

と先生は言った。

もうその場にひれ伏したくなるぐらいだった。
先生は83歳で自分もまだまだこれからだと言っているのに
何もかも遅いと思った自分が恥ずかしい。

好きなことをずっと続けなさいと先生は言う。

私も先生のように
ただ好きなものと向きあって、
そこから多くのことを学び取りながら
人生を豊かにしていきたいと思った。

50年にはほど遠い。
そして50年経っても、
まだまだこれからだと言っていられるぐらい
好きなものにひたむきに打ち込めるなら
素晴らしいことだと思う。

今月は、父と激しくぶつかって、
葛藤して、浄化して、最後には感謝が湧き出して、
家族を通して己をみつめた、そんな月だったと思う。

自分の心のあり方が変っただけで
それまでの状況は一変した。

これまで無気力だと思われた父は
せっせと色んなことをやるようになった。

きちんと相手をみつめてみれば
相手なりにちゃんと時間の経過を通して
変化しているのだということにも気づいた。

一変したんじゃないんだなー。
変化は見えなくてもあったんだ。

一変したのは自分の心ってだけなんだ。
そしてそれが自分の現実のすべてに反映されている。

断食と心の浄化。

今月は色んな意味ですっきりした月だった。

そして5月を迎える。

朝晩まだまだ冷えるけど、
北国の春に花も咲く。
posted by リンコ at 00:43| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

ぴょん子とオタク

今日は久しぶりの支店でツンデレ鮨にありつけた♪
あまったカニも食べれたし、お菓子も色々ともらって
やっぱ支店はいいなーと思った。

そしてツンデレはあいかわらずツンデレで、
ワックスがけを手伝えと言われたんだけど、
テーブルの移動とか運び出しで
こきつかってやると言いながらも
重いものは全部ツンデレが運んでくれたし、
おまえに食わせる寿司はねーと言いながらも
好物ばかり握ってくれた。

まあ本店も慣れたから、どっちでもいいんだけど、
たまに支店もやっぱりいいな♪

でももう4月も終わりで
残りあと二ヶ月といったところか。

部長にも主任にもかなり引きとめられている。
なにせ器用豊穣なんで、
使い勝手がいいらしい。
それに私はあそこじゃかなり温厚な方で、
嫌いな人も別にいないし、キレないし、
揉め事だって起こさない。

バカ女と思っていたぴょん子も
小学生の女の子と思えばかわいいもんだ。
44歳ってよりは、4年生って思えばいいんだなー。

そんなわけで最近はよくしゃべる。

そしてなぜか「B型でしょ?」と言われた。
理由を聞くと、
「おもしろいし、カラッとしてるから」
なんだそうだ。

それにしても、なんでいつもB型にまちがわれるんだろう。
ちがうと言ったら「じゃあAB?」とあっさりばれた。

だけど血液型なんて、
しょせんは自己暗示による特徴強化だと思う。
だいたい、ぴょん子は全然O型っぽくないじゃないか。

ぴょん子は、自分の中だけで仕事の手順みたいのがあって、
それが一つでも崩れると、途端にキーキー騒ぎだす。

支店も今はぴょん子ワールドで、
「グラス用」とか「食器用」とかの
シールがぺたぺたとシンクに貼られ、
ぴょん子流のルールにのっとったやり方に
適した物の配置になっている。

それが一つでも崩れると本人も崩壊するので、
忙しい本店にいたときにはしょっちゅうパニクってたらしい。

アルバイトの人間が長続きしなくて困ると
ぴょん子は言っていたけれど、
原因はほとんどぴょん子で、
仕事のできる子やかわいがられる子は
徹底的にいびって辞めさせるといったことが多かったらしい。

だけど、ぴょん子は言いたいことを言わせておけば
それで気がすむタイプなので、
適当に聞き流して、異論を唱えなければ
別にそれ以上なんてことはない。

ただ、私も正直なもんで、
あるとき、「あなたの方がかわいいもの!」
わけもわからずからまれたときに、
「ぴょん子さん、かわいいですよ」
言ってはみたものの、顔が、とは言えず、
「動きが」と言ってしまった。
しぐさが、とも言えなかったんだよなー。
「何よ、それ」と言われて、
「えーと、ぴょんぴょんしてるから?」
陰でぴょん子と呼ばれていることを
ほのめかすような言い方をしてしまったたらーっ(汗)

だけど、かわいいとは思ってる。
ただ、顔とか萌えるかとなると、
どうも厳しくなってしまう自分なので
そこはなんとも言えないけれど、
おもしろいキャラだとは思う。

おもしろいといえば、
ほとんど一緒にならないけれど、
たまに来るバイトの女の子もおもしろい。
この子はアニメ好きの完全なオタクで、
ぴょん子とはまたちがった妙なこだわりがある。

ある日のこと、このオタクは、
予約のお客さんの席に料理を運んでセットしていく際、
小鉢の向きをそろえるようにと私に言ってきた。
大根の位置がどうとか言っていたけど、
そもそもそれを盛りつけたのはおしゃべりおじさんなので、
最初からぐちゃぐちゃになっている。
だから、大根の位置もくそもないと私は笑って言ったけど、
彼女には彼女のこだわりがあったんだろう。

洗いものをするときにも
汚れた器の配置があるようで、
お湯をはったシンクの中に整然と並べてから
洗って洗浄機につっこむので
大層時間がかかるらしい。

おまけに、朝は働けず、夜も働けず、
日曜日も働けないので、
週に二回で三時間働いたらすぐに帰ってしまう。
イベントがあると休み、月に一度は腹痛に襲われるので、
それがくると仕事の途中でも帰ってしまうらしい。

胃が痛いだとか具合が悪いとか
弱いのは体なのか精神なのかわからないけれど、
戦闘キャラとしてもあまり使えない。

だけど、そんなオタクが私はわりと嫌いじゃない。

あと変ってるといえば、
やたら霊感の強い人が多いこと。
しかも普通にそういう話をしている。

それぞれ別な場所で別な人が
同じ幽霊の話をしていた。
板前の格好をした幽霊と軍服を着た幽霊がいるという。
しかも昔かららしく、別にそれほど気にしているふうもない。

UFOを見たって話も
何気ない会話で普通にしてるし、
別にここではめずらしくもなんともないことらしい。

そして、ここの人たちは一見みんな元気そうだけど、
実は持病持ちが多く、
しかも聞いたらけっこう難病の部類だし、
ガンだった人もいる。

しょっちゅう誰かが入退院しては戻ってくるし、
普通ならなかなか雇ってもらえないような人でも何でも
関係なくここは雇うし休ませる。

はっきりいって私が一番健康で元気かもしれない。
ここでは情緒も比較的安定している方だし、
物は破壊するハカイダーだけど、
仕事は大体なんでもこなせるし、
時間帯も自由に出てこれるし、
最近は外人客の相手までさせられてるので、
そりゃ重宝ってもんだろうわーい(嬉しい顔)
なーんてうぬぼれてはいるものの
本店の忙しさのピークをまだ知らないので
GWはどうなるかってところである。
支店の雪祭りの比じゃないらしい。
何しろ人手不足なので
権堂さんもかりだされることになるかもしれない。
求人情報誌に掲載して、
面接に一人しかこないってのもすごい。

仕事がないと探している人が多いけど、
結局みんな選り好みしてるんだろう。
どこで働いてもそれなりにいいことはあるもんで、
とくに私は人間関係で嫌な思いをしたことがほとんどない。

今のところでも朝のおばさんとか
色んな人に「いなくなったらさびしいわー」とか
言われるけれど、
どこにいたときもそんな感じで
農家にいたときもここに住めと言われたし、
工場でも沖縄でもずっといればいいのにと言われたので、
その言葉でとくに後ろ髪をひかれるといったこともない。
さびしいといったって、
誰かがそこにいなくなっても、
それはそれですぐ慣れるもんだってことも
知っている。

出会いと別れをくりかえして、
自分の中で人生のネタがどんどん増えていく。
ただそれだけのこと。

ここで働いたこともよかったと思う。
おもしろい人が多いし、ネタの宝庫だ。
おいしいものも食べれるし、
自分は一生食いっぱぐれることはないんじゃないかなーと思う。
posted by リンコ at 23:29| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月21日

タイタニック3Dを吹替えで観てきた

タイタニック3D観てきた♪

3Dで字幕だと字が飛び出してて観づらい感じがしたのと
ちょうどいい時間帯を考えて吹替えにした。

金曜の昼間だったんだけど観客は5人。
エンディングロールもすべて終わって帰るときには
私一人。

一番うしろの真ん中で観ててもう貸切状態。

みんな吹替えはみないんだろうか。

でも私は吹替えにしてよかったなー。
ジャックとローズの魅力が増していた気がした。
とくに今回ローズの魅力を再認識した。
以前観たときはそこまで魅力的と思わず
ジャックにはまりまくっていたけど。
ローズの後半のタフさについつい
良家のお嬢様という設定を忘れてしまいがちだけど、
前半は気位の高いお嬢様って感じがすごく出ていた。
ジャックもレオ様の声より若々しさとさわやかさがあって
見た目の若さに加えてさらに「若い」ってのを感じた。
声あてた松田洋治さんは別に若くはないんだけど。
(もののけ姫のアシタカですよ)

観ているうちに3D関係なくはまりこんで観てたなー。

以前映画館でみたときに感じたところとちがうのは、
ジャックの愛はローズの人生そのものに向けられたんだと
感じたところかな。

ローズの婚約者は
自分の人生の枠に彼女の生き方をはめようとするけど、
ジャックはローズの中に燃える情熱の火を消さないように
最後まで守ろうとした。
そしてそれは
彼が彼の人生を生きるということにもつながって、
それぞれが人生を活かし、活かされ、
与え合うような関係性になったんだろう。

だから、あそこで自分の人生が終わることがわかっても
ジャックはタイタニックのチケットを手に入れたことを後悔はしないし、
むしろローズに会えて自分はついていたと思う。

自分と生きる未来じゃなくても
彼女が彼女の人生を生きてくれるなら本望。
彼女もまたそれを受け入れる。
与えられた人生を精一杯生き抜く。

だからこそ、ジャックがディナーの席で
「Make it count(今を大切に)」
と言ったシーンが活きてきて、
このセリフはジャックにもローズにもかかってくる。

二人は自分の人生を精一杯生きたという点では同じ。
物理的な時間の長さは関係ない。

お互いに自分が自分らしく生きることができる、
活かすことができる、
そういう関係性になったときに
恋というエゴを越えた愛があるのだと思う。

相手の人生を活かそうと思ったときに
不思議と自分の人生も活かされるというか
循環するといったことはあるわけで、
昨日の夜、ある人と話しているとき、
私もそれを味わった。

その人は、今、仕事を探していて
やっと採用されたのだけれど、
どうも気がすすまないらしい。

病弱な親が家にいるし、
職場は家から5分と近いし、
自分が希望した条件のとおりの職場だという。

だけど心がはずまない。

そこにすべての答えがある。

近い場所で働きたいと思ったわけは何か?

それは、親にもしものことがあったときに
自分がすぐにかけつけられるから。

心配だから。
  ↓
心配を解消したいから。
  ↓
自分が安心したいから。

結局、親のためじゃなくて自分のためだってこと。

それに、不安な状態で心配していたら、
近かろうが遠かろうがどこにいたって関係ない。
近くにいても、そのとき気づけないこともある。
逆に、
たまたま家を訪ねてきた人が居合わせる場合もある。

よくよく話してみると、
その人は、職場が遠くても、どこでも、
(本人曰く)活気のない自分の家のまわりで働くよりも
街のにぎわいのあるところで
刺激を受けたいという望みがある。

だけど親のためと思ってがまんした。

でももう親のためじゃなく自分のためってことがわかった。

どっちも自分のためっていうなら
わくわくして心はずむ方を選べばいいじゃないか。

結局、自分の意に添わないところで選択すると、
不満や言い訳の種を探して、
職場が嫌な場所であるという理由を作ろうとする。

人にああ言われたとかこう言われたとか言って、
その職場のデメリットばかりをみつけようとする。

そうじゃなくて、
自分の中にそこが嫌だという理由がまず先にある。

外的な状況は内的な状態が生み出している。
外の状況がどうであれ、
自分の心の状態がどうであるかで
現実の観じ方は変ってくる。

その人は、人に言われる言葉も気にしていたけれど、
人に何を言われたかじゃなくて、
言われて反応した自分の心を探ってみれば
根本的な原因がわかる。
そうしたら言われる言葉はもう気にならないし、
それ以前に言われるということもぴたりとなくなる。

大体、人があれこれ言う言葉って、
大抵が、世間や誰かに植え付けられた道徳概念だったり
古い固定観念やパターンに基づいたものだったりする。

「人に迷惑をかけちゃいけません」
「わがままはいけません」
「自分勝手はいけません」

だけど、何が迷惑? 何が自分勝手? 何がわがまま?
自分でそう判断したものを勝手にダメだと決めつけて
その人は押さえつけてきた。

それにもっと言っちゃえば、
それが「いけません」ってことなんて何一つない。

なぜいけないのか? 
そこに不調和が生まれるから?
その不調和から生み出されたものは
結局は自分に還ってくる。
それが嫌だから?
それを避けたいから?
それって自分のためじゃない?
それって「我がまま」で「自分勝手」じゃない?

そんなこと考え出したら
頭がぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・。

大体、悩むときや迷うときって
頭が独り相撲とってるとき。

だから、もっと単純に感じるままに
頭の声を黙らせて、
自分がその物事に対してどう感じるか、
心はずむか、楽しいか、
わくわくしたのかってところで
動けばいいんじゃないかと思う
・・・ってなことを言いながら、
なるほどなーと自分でうなずいた。

自分が迷路を抜けた途端、
同じ迷路で迷う人が出てきて、
その人と一緒にまた歩くから、
今度は最短で抜けられて
その迷路もおもしろかったなーなんて思う。

自分はけっこうそのパターンが好きなんだろう。
上から眺めて、頭に経路をたたきこむよりは、
実際自分でうろうろしたり確かめたりするって
遊び方が好きなんだろう。

そしてその人は誰かと一緒に迷路を出るのが好きなんだろう。
もしかしたら迷路を迷路とも思ってなくて、
それは出口のある迷路なんだよと声をかけられて
アトラクションを楽しむっていうのが好きなのかもしれない。

何にしても、
どちらか一方が与えて受けるといった関係性じゃない。
だからうまく循環した。
その人の人生を活かそうと思うことが
自分の人生を活かすことにもつながった。

誰かのためにというときは、
あらゆる意味で「自分のため」ってところに
つながっているんだと思う。

それは、独り善がりにもつながるものであり、
相手の人生を活かそうとするところにもつながる。

私が愛読している本に
ティーポットの話が出てくるのだけど、
ポットには十人分のお茶が入っている。
だけど、十人いるからといって、
十人分を均等に分ける必要なんてない。
そこには飲みたくない人もいれば、
のどがかわいていて二人分飲みたい人だっている。

だけど、そういうのは均等に分け合うというのが
正しいという固定観念で
誰も望みを言わずにそのまま分ければ
飲みたくない人は無理して飲むことになるし
二人分飲みたい人は我慢することになる。

そこに不満が生まれるわけだ。

相手が飲みたい量なんてわからない。
だけど、自分のことはわかる。
それを口に出すことは我がままなんかじゃない。
自分が満足することを選ぶことは間違いなんかじゃない。

いきなりタイタニックに戻るけど、
ローズを巡る二人の男は、
どちらも自分の満足がいく愛し方で彼女を愛したのだけれど、
それは頭か心かエゴか魂か・・・
そんなことも頭で考えるとぐるぐるぐるぐるぐる・・・なるので、
とりあえず私は、人を愛するならば、
心がわくわくするといった反応があれば
オッケーなんじゃないかと思う。

無理矢理しめになりますがいまや名作となった「タイタニック」


最初に観たときと変らないのは、
凍える水に沈潜していくレオ様萌え(〃▽〃)
(4:42あたり)




posted by リンコ at 07:37| 北海道 雨| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする